誰かがやってくれるだろう

2023年6月30日

先日、ふと思うことがあった。

とある店舗に入ったとき、目の前にゴミがそのまま置かれていた。
飲食店なら一発アウトだろうというレベルの“放置”だ。
そこまで神経質になる場所でもなかったので流したが、仕事とか立場とかとは無関係に、単純にどうなのだろうと思ってしまった。

ゴミに限らず、「やってやりっぱなし」「出したものを片付けない」。
子どもの頃に親や学校で散々言われてきたことが、大人になってもできない人が意外と多い。
むしろ年齢を重ねるほど、その数が増えているようにすら感じる。

無意識に働く「誰かがやるでしょ」

「誰かが片付けてくれるだろう」
「自分の仕事じゃないし」
「家じゃないからいいや」

おそらく、こうした気持ちが無意識のうちに働いているのだろう。
もちろん「片付ける余裕もないほど忙しかったのかもしれない」と考えるようにはしている。
だが、同じような場面に何度も遭遇すると、さすがにモヤッとせざるを得ない。

結局のところ、そういう人にとっては、自分の仕事の範囲以外はすべて他人事なのだと思う。

指摘することの難しさ

今の時代、軽い注意でさえ何が起きるかわからない。
だから自分に直接関係する時だけ、やんわりと指摘するようにしている。
ただ、指摘しても本人が無自覚なので、しばらくするとまた元に戻ってしまう。

となれば、答えはひとつ。

“そういうものだ”と割り切って、自分にできることを自分でやる。
そのうえで、そういう人とは自然と距離を置く。

些細なことなのに、積み重なるだけで妙なストレスになるから。

心地よい空間は、自分で作るもの

結局のところ、片付けや環境づくりは「他人事」と思わず、自分のこととしてやるしかない。
心地よい空間にしたいなら、自分で整えてしまえばいい。

シンプルな話だけれど、最近つくづくそう思う。