「楽しい」とは何だろう。
ふと、そんなことを考えた。
楽しい、苦しい、つまらない。
私たちは日々、いろいろな感情の中で生きている。
ただ、よく考えてみると
「楽しい」だけが単体で存在することは、あまりない気がする。
苦しいことや、退屈なこと、思うようにいかない時間。
そういうものがあって、それを乗り越えた先に、
あとから振り返って「あれは楽しかった」と感じることが多い。
もし、最初から最後までずっと楽しいだけだったら、
それはきっと、味気ない。
仕事における「楽しい」
仕事も同じだと思う。
ただ楽しいだけの仕事は、
正直なところ、成長もあまりない。
仕事をしていれば必ず問題が起きる。
思い通りに進まないことも多いし、
正直、面倒だなと思う場面もある。
でも、
- 問題が出てきて
- どうすればいいか考えて
- 試行錯誤して
- なんとか解決したときの満足感
こうした一連の流れまで含めて、
「楽しい」と呼んでいるのだと思う。
そうやって少しずつ成長していくと、
できることが増え、見える景色が変わり、
楽しさの幅も自然と広がっていく。
「楽しくもないし、辛くもない」状態
最近、
「特別楽しいわけじゃないけど、辛いわけでもない」
そんな状態のまま、なんとなく続いている人が増えている気がする。
大きな不満はない。
だから、やめる理由も特にない。
でも、
その状態は意外と脆いのではないかと思うことがある。
なぜなら、
- 自分なりに乗り越えた経験が少ない
- 手応えや納得感が積み上がっていない
そういう状態だと、
何かひとつ大きな出来事が起きたとき、
一気に心が折れてしまう可能性があるからだ。
「続いている」ことと、
「踏ん張れている」ことは、
実はまったく別なのかもしれない。
逃げるべき苦しさと、向き合う面倒さ
もちろん、
本当に辛い状況からは逃げるべきだと思う。
心や体を壊してまで、
無理に頑張る必要はない。
ただ一方で、
- 少し面倒そう
- 責任が重そう
- 失敗しそう
そういった理由だけで、
関わること自体を避け続けていると、
自分の中に「耐えた記憶」や「越えた実感」が残らない。
それは、
あとから自分を支えてくれるはずだった
見えない土台を、作らないまま進んでいるようにも感じる。
楽しさは、あとから自分を支える
楽しさは、
その瞬間の感情というより、
後になって自分を支えてくれる感覚なのかもしれない。
「あの時は大変だったけど、なんとかなった」
「思ったより、自分はやれた」
そういう記憶があるから、
次に何か起きても、
踏みとどまることができる。
楽しさは、
楽をした結果ではなく、
向き合った結果として残るものなのだと思う。
そんなことを、
ふと考えてみた。
